1953-07-27 第16回国会 参議院 内閣委員会 第23号
○参考人(川原和雄君) 文官恩給の御質問でございましたが、これには何ら私は触れておりません。併しながらやはり将来におきまして、こういつた社会保障という線にまとめるべきでありまして、一応第一の手段としてこの軍人恩給をそういつた方向に持つて行くことを私は訴えております。
○参考人(川原和雄君) 文官恩給の御質問でございましたが、これには何ら私は触れておりません。併しながらやはり将来におきまして、こういつた社会保障という線にまとめるべきでありまして、一応第一の手段としてこの軍人恩給をそういつた方向に持つて行くことを私は訴えております。
○参考人(川原和雄君) 私は全戦傷病者要求貫徹委員会を代表する者であります。このたび参考人として御招へい下さいましたこと感謝いたします。 現在ちまたには杖とも柱とも頼むべき夫をば戦場に失い、行きゆく道すらも阻まれ、いとしい我が子を他人にゆだね夜の女となることすらも余儀なくされた一部の遺族、又生活の荒波に押し流されんとしている傷い者が生ける屍をさらし、白衣の募金によりまして辛うじてその日の生活を護らんとする
○川原公述人 公述人の選定は、新聞によりまして内閣委員会において選定されたのであります。その選定に当られた委員の方全般をさしているわけであります。
○川原公述人 現在入院しております国立相模原病院の患者自治会、並びに西日本傷痍者団体連合会、それから全戦傷病者要求貫徹委員会、この三団体の推薦であります。
○川原公述人 私は現在国立相模原病院に入院加療中の一患者であります。そうして私がこの席上に立たしていただくことにつきまして、各諸先生方の大いなる御尽力に対しまして、深く感謝いたすものであります。また私は全戦傷病者要求貫徹委員会並びに国立相模原病院患者自治会及び西日本傷痍者連合会の推薦によりまして、この席上に立たしていただきました。 現在ちまたには、つえとも柱とも頼むべき夫を失い、幼児を育てつも、生活